::電信柱さん 2
拍手御礼画面の再掲です。

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ある9月の夕刻。見上げた空はきれいな赤色でした。
この都会で、地平線なんてものは到底見えませんが太陽は確実に西へと沈んでいきます。
これからそう時間が経たないうちに辺りは闇に包まれることでしょう。



さて、実はわたくし夜があまり好きではありません。
何故?各家庭で使う電力が増える分仕事が忙しくなるから?いいえ、決してそんな理由ではありません。


わたくしが夜を好まないのは、暗くなると良からぬ事を仕出かす輩が増えるから。
例えば時折足下に不法に投棄される粗大ゴミ。身体に貼り付けられるピンクチラシ。
それらは闇に乗じて行われることが多いのです。
もっとも、この辺りは高級住宅地と名高い地域ですから、繁華街などを受け持つ友人の電信柱たちに比べればマシではあります。が、他にも電信柱が被る害は多々あり、例えば昨晩わたくしは酔っ払ったサラリーマン風の中年に意味もなく身体を蹴られてしまいました。


「あんな人事、理不尽だ!」


彼はブツブツ言いながらわたくしを蹴り続けましたが、こちらに言わせると意味もなく電信柱を蹴りあげるその男性の方がよほど理不尽でありました。
けれどわたくしは恨み言のひとつも零さずジッと堪えてみせました。
何故なら、きっと彼はわたくし以外に怒りの矛先を向けられるものがなかったのでしょうし、まさかこのような電信柱に心があるとは思っていなかったのでしょうから。
このように、わたくしは自らのみが被る害にはずいぶんと寛容です。
例えば散歩させる愛犬の小便スポットにわたくしを選んだからといって、よしんばどうしても堪えきれず自らが立小便したとしても恨み言なんて言いません。


然し赦せないのは強盗やひったくり、あるいは痴漢などという卑劣な罪。
悲しいかな、わたくしは目の前でそのような行為が繰り広げられてもなんら手が出せません。
勿論この前も言ったように、そんな悪党たちに電流をぶっ放して懲らしめる事も出来なくはないですが、やはりそこまではわたくしもつい致しかねるのです。


ところでこういう罪も夜に行われることが多い。
今わたくしが何時にも増してそれを懸念しているのは、愛しいあの御方がまだわたくしの前を通り過ぎないから。
今朝学校に出かけた琴子さんは、もう日がとっぷりと暮れようとしているにも関わらずまだ帰宅していません。ああ、いつもはこんなに遅くならないのに一体どうしたことなのでしょう・・・。




と、気を揉んでいたら漸く琴子さんの気配を察知しました。
わたくしの周りには外套がないため辺りはかなり暗いのですが、それでも分かってしまうのは愛の力であります。
勾配の急な道を上って来る琴子さんはかなりお疲れの様子。


「はぁ、もう疲れた・・・。金ちゃんったらリレーの練習どれだけさせるのよ?なんであたしばっかりバトンの受け渡しさせられなきゃなんないの!」


リ、リレー?体育大会でもあるのでしょうか?
高校生(しかも三年生)にもなってそんな練習があるとは珍しい気がしますがそれはさておき・・・。
ああ、なんとお労しい。今日、琴子さんはあの大阪弁のリーゼントに過酷な練習を強いられていたようです。


「それにしても最近日が暮れるのが早くなったよね。少し前までこの時間ってまだまだ明るかったのに」


ええ、ええ。まだ日中の残暑は厳しい日がありますが、時は刻々と秋に近付いているのです。


「この辺って意外と外套少ないんだよね。夜道の一人歩きってちょっと怖いかも」


そうなんです、そうなんですよ!だから成るべく早く帰宅して下さ~~い!!




激しく同意していると突如琴子さんがぴたりと足を止めました。
そして恐る恐る背後を振り返ります。


「な、なに・・・?もしかしてあたし、つけられてる・・・?」


なななななんですってーーー!!?


全くなんたる不覚!わたくし琴子さんを目にした途端浮かれすぎて周囲への目配りを怠っていました!
が、確かに琴子さんの後方10メートルには不穏な黒い影が見えるではありませんか・・・!!




辺りが暗いため、琴子さんは勿論わたくしも黒い影の正体は分かりません。
黒い影は琴子さんが足を止めると同時にぴたりと足を止めました。


「ど、どうしよう。今からでも走って逃げた方がいいかな。でもそんな事したら余計煽っちゃう?」


迷いを見せる琴子さんを尻目に、黒い影はひたひたとこちらへ近付いてきます。


「や、やっぱり逃げなきゃ・・・っ」


琴子さんが駆け出すとその影も同時に走り出しました。
バタバタと路上に響く二つの足音。しかしそれに気付くご近所さんは居ません。運悪く他の通行人も全くおりません。
なのにわたくしといえば、やはり不甲斐なく地面に足を縛り付けられているのです。


琴子さん、頑張って!
逃げて逃げて―――!!






「お前、まだリレーの特訓してるの?」


「い、入江くんっ!?」


ふと前方から声がしてハッと立ち止まる琴子さん。
そこに居たのは見紛うことなく入江直樹。


「違うの、違うのよ~~。後ろから痴漢があたしを追いかけてくるの!」
「へぇ、お前を狙うなんて酔狂な奴も居たもんだ」
「な、なによ!でもほら、後ろ見てよ。本当に居るんだからっ」


眉を少し上げる入江直樹の不遜な態度に琴子さんはムッとして言い返しながらも彼の腕にひっしとしがみつきます。


「ほら来たっ。でも入江くんが居るからもう走るのやめたみたいね」
「あれがお前の言ってた痴漢?」
「そ、そうよ。嘘じゃなかったでしょ?」


すると入江直樹がぶっと噴き出しました。
そして痴漢に向かって手を上げます。


「親父、運動不足なのにいきなり走ったらぶっ倒れるぞ!」
「いや~、ほんとになぁ。少し走っただけで足がもつれそうになってしまったわい」
「え、お、おじさま・・・・?」


現れたのはなんと・・・、入江重樹様でした。





「今日運転手には駅前で下ろしてもらったんだよ。ケーキを予約していたもんでね」
「ケーキですか?」
「ああ。今日は琴子ちゃんの誕生日だろう?」


重樹様の手には近所で美味しいと評判のパティスリーの紙袋が提げられていました。


「何せ久しぶりにこの坂道を歩いたものだから少しきつくてね。途中で立ち止まってしまったんだが、前に琴子ちゃんらしい人影が見えたから追いかけたんだ。しかしそれが怖がらせてしまったようだね。悪かったね、琴子ちゃん」
「い、いえ。あたしの方こそおじさまを痴漢と間違えるなんてごめんなさい」
「ったく、相変わらず人騒がせだよな」


三人は並んで入江家に向かって歩いて行きます。


「ところで入江くんは何しにきてたの?」
「お袋がお前を迎えに行けって煩かったんだよ」
「そうだなぁ。この辺は意外と暗いから女の子の一人歩きは気をつけたほうがいいかもなぁ」
「大丈夫でしょう、こいつは」
「ひ、ひどいっ」


琴子さんはまたムッとした顔をしました。しかし入江直樹は相変わらず飄々とした表情。
そんな二人を重樹さんはにこにこと見守っています。



「まぁまぁ。とにかく帰って一緒に誕生日を祝おう。アイちゃんはまだまだ仕事だから、私達がハッピーバースデーを歌おう」
「ほ、本当ですか?嬉しい!」
「おれは歌わない」


どんどん小さくなっていく影。それを見送りながら私は何かが少しずつ変わっているのを感じました。
たとえ入江家の権力者、紀子様のご命令だとしても、あの入江直樹が琴子さんを迎えにやってきた。これは中々衝撃的な出来事です。
それに・・・、何気に彼の着ているTシャツは汗で少し色が変わっているではありませんか。




今晩、琴子さんは皆にハッピーバースデーを歌ってもらって、そしてろうそくを吹き消すのですね。
18歳、素敵なはじまりになったのではないでしょうか。




然しこれから琴子さんの18歳は波乱に満ちたものになるのです。
ただそれはまた、別の機会にお話させていただくことにましょう――。


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