::Forget Me Not 【下】

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全く、昨晩ほど女性との食事を愉しめなかった事なんてあっただろうか。
昨日に続いて今日も日勤の僕は、職員通用口を通り抜けながら昨晩の出来事を思い出し小さく溜息をつく―。



昨晩、仕事終了後。昼間に予約しておいたレストランに田中くんと連れだって出掛けた。
僕はあらゆる事柄に置いてぬかりの無い男だと自負している。
僕の記憶が正しければ、以前彼女と食事をしたときに「今度はフレンチが食べたい」と言っていた為、今回は魚介類の美味いフレンチの店をチョイスした。
そしてそれは正解だったようで、彼女ははしゃぎながら店内へと入る。
アペリティフには気取りすぎずにヴーヴ・クリコをグラスでオーダー。あとはワインの好きな彼女に好きなものを選んでもらう事にして、先ずは運ばれたオードブルと共に僕達は軽妙洒脱な男女の会話を楽しむ、筈だった。
ところが…

軽くグラスを合わせる仕草の後、その細やかな気泡の立つ液体が喉を潤し、僕たちは微笑み合う。
さぁこれから、と思った矢先に田中くんからの先制。

「西垣先生。今日から先生、新しい研修医の先生の指導される事になったんですよね」

「やぁ、もうそんな事が耳に入っているのかい?ホントに君たちの噂の早さには参っちゃうな」

早速この事は話題になっているらしい。注目を浴びる立場と言うのもなかなか忙しい。

「うふふ、それはもう」

「今朝急に依頼されてね。バタバタしていて彼の紹介をまだナースの皆にはきちんと出来なかったんだけど、名前は…」

「入江直樹、先生ですよね」

「…うん、そう。あ、そういえば彼は斗南でインターンしてたんだったよね。でも田中くんは去年からの勤務なのに良く知っているね」 

「ふふ、西垣先生、今日の午後イチに入江先生とナースステーションにいらっしゃったんでしょ。その後、その場に居たナースが口々に噂していましたから」

「成程。彼の事を知っているナースもいたんだね」  

どうやら、話の主役は僕ではなかったようだ。これは少々面白くない展開だな。

「皆が余りにも褒めるものだから私、どんな方なんだろうって気になって入江先生のお姿探したんですけど…、確かに素敵な方ですよね。あ、西垣先生も勿論素敵ですよ?」

「そうだね…、腕も判断力もなかなかのようだし」

とって付けたよう僕を褒める科白も面白くないが、そこは大人。僕はさらりと聞き流して相槌をうつ。

「でも入江先生って、神戸の病院に赴任されていたんですよね。どうしてこちらに急に戻って来られたのかしらって話していたんです。西垣先生、ご存知ですか?」

…この話、早く切り上げたいんだけどな。女性との食事中にどうして他の男の噂をしなけりゃならないんだ。
それにご存知も何も…、理由なんて1つしかない。こういう時どう答えるべきか?一応入江のプライベートだし。ここはやはり事実は述べた上でオブラートに包む…というのが最善だろう。

「仕事が理由ではなさそうだね」

そう答えると彼女は小さく溜息をつく。

「そうですよね。ナースステーションでも入江先生の優秀さは話題になっていました。なら理由はやっぱりプライベート、ですよね?」

「あぁ…そうだねぇ」

もうこれ以上聞くなよ。僕は呪文のように心の中で呟く。こう見えて僕は噂話はあまり好まないんだ。

「…小耳に挟んだんですけど、入江先生、ご結婚されているとか。つまり、単身赴任されていたんですよね」

なんだ、知ってるんじゃないか。それならこれ以上僕に何を聞きたいと言うのだろう。

「お相手ってどんな方なんでしょうねー。入江先生に選ばれる方って…色々スゴそう」

まぁ…、強ち間違ってはいないけど。と言うよりまだこの話題を続けるのか?辟易した僕の中で少し意地悪な気持ちが芽生える。

「あれ…田中くん、知らないの?」

「ええ。知っている人達は皆、意味ありげに『そのうちわかるから』って笑うだけで教えてくれないんです。何だか感じ悪いと思いません?ねぇ、もしかして、西垣先生ご存知とか?」

「…まぁね」

人の心理は難しい。嫉妬や羨望が入り交じると尚更厄介になる。
そして今、上目使いに僕を見つめる彼女が知りたい事。それは“入江の奥さん”の情報。媚売ってまで知りたいモノなのかね。
ま、内緒にしても仕様の無い話だし、ここはさっさと話してしまおう。

「田中くん、君の後輩だよ」

「え?ここの看護師ですか?で、でも…入江…。…うそ。も、もしかして看護師の『入江』って…」

「うん、1人しか居ないよね。『入江』って名字の看護師は」

「入江琴子…さん」

「そう、正解」

「………。何で…」

「さぁ、僕に聞かれても」



僕の気まぐれな意地悪は悪い方向へ進んでしまった。

その後僕は、魂が何処かに遊びに行ってしまったように放心状態の彼女と上手く咬み合わない会話を続けることになった。
形ばかりに注文したワインがワインクーラーの氷で冷やされ表面に汗をかくように、僕達の食事も背中から冷たいものが伝うような、空しいものになってしまったのだった…

***


「おはようございます」

医局の扉を開けると、昨夜の疲れの元凶が涼しい顔で抑揚の無い挨拶をしてきた。

「おはよう。えっと今朝は回診から始めるから、取りあえずカルテを用意してもらおうか」

「既に用意できています。それから午後から手術の患者のカルテその他資料もこちらに纏めていますので、確認お願いします」

「あ…そう。準備がいいね」

一番手前にあった書類に目を通すと、簡潔かつ明瞭な報告が記されていた。そしてそれは全く非の打ちどころのない内容…ほんと可愛げのない奴。

「…そう言えば昨日、家族でパーティだったんだろ?。どう、楽しかった?」

「いつもの事なんで、煩いだけですよ」

「ふーん。…でも、奥様との再会は感動的だったんじゃない?」

「病院で先に会っていましたし」

「ふん、分かっていてしらばっくれるんだな。そんな意味じゃないよ」

「…下世話な事聞くんですね」

ふん、僕の昨日の楽しい時間を台無しにしたのはお前なんだから、これ位のジョーク、罪はないだろ。

「そんな睨むなよ、じゃあ別の質問。琴子ちゃんにこっちに戻ってきた理由は伝えた?」

これは正直ちょっと気になる。なにせ職員皆の関心事だからね。琴子ちゃん自身は入江に聞いたのだろうか。

「ああ…ま、一応は伝えましたよ」
ニヤリと笑って答える入江。

「何それ。昨日言ってた『全てが伝わらなくても…』ってやつ?」

「さあ?それより西垣先生、そろそろ回診始めた方が良いんじゃないですか?」

その言葉に時計を振り返ると、確かにそろそろ始めた方が良さそうな時刻だった。僕たちは私語を中断し、入院病棟へ足を向けた。

***


患者の心音を聴診器で確認する入江の背後にはその姿を拝みに来た看護師や、女性患者が層をなしている。
何故か変人と名高い大蛇森先生までもが入江目当てにここに足を運んでいるのには驚いた。
そして必死でその者達を威嚇している琴子ちゃん。しかし、逆に反撃されているようだ。
大蛇森先生に好かれるのは遠慮するけれど…この状況、極めて面白くない。

「こりゃ君も大変だね」

孤軍奮闘する自分に全く興味を示さない入江に、小さな声で悪態付いている琴子ちゃんの背後から僕は声を掛けてみる。

「わっ、西垣先生。えっと、西垣先生が入江く…先生の指導医なんですよね」

「うん。でも君の旦那は教えがいの無いつまらんヤツだ」

「むっ。入江先生は優秀だから仕方ないんです!」

ぷっ。怒ってるけど…それは寧ろ惚気だよ、琴子ちゃん。
入江が診察をしている間、僕は琴子ちゃんと2人、話に興じてみる。

「入江、今までもずっとあんな感じでモテてるの?」

「そうなんです。妻がいるというのに。あ、寧ろ結婚してからの方が皆積極的に言い寄ってくるようになった気が…」

「入江とは結婚して何年になるの?」

「えっと…21で結婚したから5年目です」

「へ~、学生結婚なんだ。琴子ちゃんはともかく、入江っぽくないね」

「まぁ…色々ありまして」

「色々…、ね」

入江が結婚を決める程の“色々”とは、気になる所だな。まぁそれは追々聞くとして、今一番気になる事を質問する事にする。

「琴子ちゃんは入江が帰ってくる事、知らなかったんだよね」

「あ、はい。だから昨日はびっくりしちゃって」

「でも良かったね。寂しそうだったもんね」

「そうなんです!だからもう、私幸せで!!」

琴子ちゃんは感極まって、僕の手を取り瞳を潤ませている。僕はその手を優しく握り返すと琴子ちゃんに囁く。

「その時は僕が慰めてあげたのに。入江も間が悪いな…ヴッ!!」

脛に衝撃が与えられ、瞬時にそれは激痛を伴い、僕はその場で蹲る。

「?西垣先生、どうされました?あ、入江君!」

「西垣先生、この病室の回診終わりました」

「い、入江お前…。シャレの通じん奴だな」

「まさか。わきまえていますよ」

そう言って入江は笑って見せるが、…目が笑っていない。おい、何度も言うが僕は指導医だぞ。

「すぐ追いかけるから、先行ってろ」

「…分かりました」

一瞥してから、入江は僕達に背を向けた。

「あ~入江君とお話したかったな…」

琴子ちゃんが名残惜しそうに入江の背中を見つめる。…そう言えば、まだ話の途中だった。

「琴子ちゃんはどうして入江が急に帰ってきたか、不思議に思ったりしなかったの?」

「あ、それは勿論。昨日入江く…先生にも聞いたんですけど、気にしなくていいって」

「ふーん。そうなんだ。じゃ、改めて何か琴子ちゃんに言う事はなかったんだ?冷たい奴だな」

「そ、そんな事ないですよ!ちゃんと言ってくれました!」

「え、何々?入江のヤツ、なんて言ったの?」

「その…『ただいま』って」

琴子ちゃんはそう言うと、幸せそうに花のような笑顔を見せる。そんな何気ない一言でそんな表情が出来るなんて、彼女は心底入江を好きなんだな。そして…彼女はどこまで気付いているか分からないが、この言葉には入江のありとあらゆる気持ちが込められているのだろう。しかし、それは余りにも分かり辛い。

「…あ、そう言えば」

「どうしたの?」

「すいません、西垣先生。ちょっと失礼します。私、調べ物が…」

そう言うと琴子ちゃんは一礼して階段を降りて行った。物足りない気もするが、取りあえず話は聞けたので僕は入江が診察している病室へ向かった。

***


「西垣先生、こちらももう済みました」

「ああ、悪かったね」

扉を開けようとした瞬間、向こう側たら開いて入江が出てくる。

「なぁ入江。お前って、圧倒的に言葉の足りない奴だな」

「そうですか」

「僕は心配して言ってやってるんだぞ?琴子ちゃん、よく不満言わないよな」

「あいつは俺と居るだけで幸せですから」

「はっ…良くもまぁそんな口を…。ん?琴子ちゃん、あそこで何やってるんだ?」

立ち止まって窓の外を見る僕の言葉に、入江も同じ方向を見やる。窓の外に見える彼女は、中庭の花壇を一つ一つ、懸命に眺めている。ちょうど通りかかった桔梗君に何か声をかけて…あ、何かがっかりしたように肩を落としている。

「理由は分からないけど…琴子ちゃんって感情を全身で表現するよな」

そう言って僕は入江を振り返る。すると、入江が優しい瞳で彼女を見つめていた。

「…バカな奴。調べろとは言ったけど、花見てどうするんだ」

「入江…?」

「何でもないです。回診続けましょう」

「あ、ああ」

僕は窓の外と眼前の白衣の後姿を交互に見ながら、気持ちを仕事に切り替える事にしたのだった。


***


回診も終わり昼休み。今日は交代で食事をとる事になり、僕は先に食堂に向かうと、列に並んだ。

「西垣先生、お疲れ様です」

「あ、桔梗君。お疲れ様」

僕の後ろに並んだ桔梗君に声を掛けられ、僕はにっこり返事をする。そう言えば…。僕は先程の事を思い出して質問をした。

「桔梗君、さっき中庭で琴子ちゃんに何か聞かれていなかった?」

「あ、見ていました?あの子ったら仕事ほったらかして花壇見ているから注意していたんです」

呆れたように話しながら、桔梗君の瞳は何やら楽しそうだ。琴子ちゃんと親しい人間は、よくこんな表情で彼女の話をする。

「クスッ。そんな事してたらまた清水主任に叱られるな。で、彼女何をしていたの?」

「それが…勿忘草を探していたらしくて」

「勿忘草?」

「はい。季節的にもう咲いてないって教えてあげたら、ガックリしていましたけど。…先生、どうかしました?」

何時の間にやら口角が上がっていたらしい。桔梗君が僕を怪訝そうに見てくる。

「いや、ごめんごめん。何でも無いよ、ありがとう」

僕は定食を受け取ると、桔梗君の肩をポンポンと叩いて、空いている席へと向かった。

点と点が繋がって形が表れ、その事に僕はほくそ笑む。
分かりやすいのか、分かりにくいのか。判断は分かれるところだ。しかし、琴子ちゃんが入江のメッセージに気が付く日はやって来るのだろうか?
…まぁいいのか。このメッセージに気が付かなくとも、さっき琴子ちゃんは凄く幸せそうに笑っていたのだから。それにしても、改めて面白い夫婦だな。

真実の愛、か…。確か勿忘草って、もう一つ花言葉の意味あるよな。そして、どちらかと言えば英語直訳のその意味の方がポピュラーなのではないか?やっぱり分かりにくいよ、入江。
そしてこの花言葉、僕の今の心境にぴったりだ。

――入江に夢中な女性諸君、こんな妻一筋の男にうつつを抜かすより、僕と大人の付き合いを愉しまないかい?





【Forget Me Not】花言葉: 私を忘れないで 、真実の愛





【あとがき】

更新が遅くなり、申し訳ありませんでした!

キリ番を踏んで下さったなおき&まーママ様のリクエスト、「入江君が神戸から戻ってきたその夜の2人」にお応えして書かせて頂きました【Forget Me Not】。
気が付けば、2人の夜のお話より西垣先生を書く事を楽しんでいた私(*_*;圧倒的に蛇足部分が多くて申し訳ありません!!

【中】のコメント御礼欄でも書きましたが、改めて痛感した事…私、入江君目線苦手です!
こんなの入江君じゃないと思われた方も多かったことでしょう。気持ち悪くてすいません!でもまぁ…こんな入江君が二次創作の中にあってもいいよね?と思いこもうとする私^_^;


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::改めまして、ありがとうございました!!
キリリク募集させて頂いてからはや1ヵ月。
漸く書きあげました。
【Last night First night】も、【Forget me not】も、リクエストして下さったものを拡大解釈して書かせて頂いて…。
リクエストして下さった御二方、そして読んで下さった皆様、お付き合い下さって本当にありがとうございましたm(__)m

それでは以下、コメント下さった方へのお礼です。

藤夏様
こんばんは!トップバッターでした!UP草々コメント下さってありがとうございました(^^)
今回のお話、何故か西垣先生が主役のようになってしまいました(苦笑)書いてみて分かったのですが、本当に西垣先生って登場させるとヤミツキになります^m^
気障ったらしい演出も、直樹との攻防も楽しんで頂けて良かったです。しかし直樹、暴力はイカンよ(笑)私も西垣先生の無事を祈願します(笑)

まあち様
こんばんは!いえいえ、オニの催促(笑)、有難いです!どんどんお尻叩いて下さいな、頑張って走りますから(笑)
西垣先生と入江君のかけあい、楽しんで下さって良かったです。この2人、本当に面白いですよね^m^
台湾版、離れるシーンは見たんですけど、帰って来たところは未だ見てないです(>_<)どんな感じなんでしょうか…?また見てみます!!
そうそう、台湾版の西垣先生を見た時には、そのビジュアルに仰け反ってしまいました(苦笑)

繭様
こんばんは!うふふ、No.2の再登場でございます(笑)
西垣先生の大人な夜は忍耐の夜になってしまいましたが、ただでは起きないのが彼ならでは。鋭い観察眼で入江君を追い詰めようとしますが、簡単には口を割らない入江君。楽しんで頂けて良かったです!
花ことばは、入江君よりも西垣先生のほうが熟知していそうですよね(笑)
入江君のポロっとな言葉、そして表情であらゆる事を悟る第三者。西垣先生は早々に見抜いてしまった、というお話でした^m^


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