::Bud


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





――好きだよ、琴子。
――本当?もう一度言って…?
――いいよ…

『ザマァミロ』・・・・・!!

***

「…ハッ!あぁ、またこの夢…」

頭に手をやる琴子の前髪は、やはり今朝もひどい寝癖がついていた。

時刻は午前10時過ぎ。春休みに入ってからというもの、琴子はよくこんな時間に起きている。入江家の専業主婦の紀子は今日は小学校の保護者会で朝から出掛けるって言ってたから、もう誰も家には居ないだろう。
大きな窓から入る春の太陽の光は暖かくて気持ちが良い。最近目覚め前に必ず見てしまう夢の後味はともかくとして、琴子はベッドから降りると大きく伸びをした。

琴子と直樹は、春休みに入ってから殆ど顔を合わせていない。

春休みにかこつけて惰眠を貪る琴子とは違って、直樹は毎日規則正しく起きて、何かしら用事で午前中から出掛けている事が多い。夕食時には顔を合わせるけれど、2人で改めて何か話するような事は無かった。
琴子はその事に寧ろ少しホッとしていた。卒業式以降、直樹にどんな顔で会えばいいのか分からないからである。

――何であの時、入江君はキスしたの?…ただのいつものイジワルだよね…

今日も直樹は、きっともうどこかに出掛けているだろうと思いながら、琴子はパジャマにカーディガンを引っ掛けると、顔を洗うために階段を下りた。

洗面所に入って顔を丁寧に洗う。泡を流すために何度も手に水を溜めて濯いでいると、背後から声が聞こえた。


「早くしろよ。俺も使うんだから」

「…へっ……?」

勢いよく顔を上げて、琴子は鏡越しにその声の主を確認した。
確認するまでも無く、その声は、琴子の大好きな直樹の声なのだが。

「い、入江君。今日はまだ家にいたの?」

「自分のウチなんだから、居ようが居まいが勝手だろ。終わったなら替ってくれる」

「あっ…うん。どうぞ」

慌てて琴子が洗面台の前を空けると、直樹はすっとその前に立ち、髪に軽くワックスを付け始めた。


「入江君、これから出掛けるの?」

「ああ。お前は予定なし?こんな時間に起きて、暇な奴だな」

「ムッ ほっといてよ!出掛ける時間が遅いだけで、私にだって色々用事はあるんだから!!」

「ふーん。ま、別に俺には関係ないけど」

無表情で言い放つ直樹を恨めしそうに睨む琴子だったが、鏡に映る直樹の姿はやはりカッコ良くて、ぼうっと見惚れてしまう。

「あ…、入江君、髪切った?」

考えてみれば、こんなにまじまじと彼の姿に見入るのは久しぶりだと思いながら琴子は質問する。

「ん?ああ、伸びて鬱陶しくなってたから」

髪を整え終えた直樹は手を洗い始める。
少し髪が短くなった直樹は春らしい爽やかさが増していて、琴子の心臓はさらに早鐘を打ち始める。
何をしても絵になる直樹の流れるような所作に目が釘付けになる琴子。そんな琴子をを直樹が鏡越しにを見つめて…そして、プッと吹き出した。

「なっ、人の顔見て吹き出すって、どういう事よ!?」

「いや、だってさ…お前、寝癖ひどすぎ。着替えも未だだし、いかにも起き抜けって感じでまるでガキだな」

「な、なんですって!?これから花の女子大生になるって女の子を捕まえて…!!」

「自分で言うなよ。それにそんな風に言うんだったらさ、もう少しちゃんとしたら?」

じゃ、出掛けるからと言って、直樹は琴子の横をスッと横切って行った。
遠くで玄関の扉が閉まる音がして、今度こそ、本当に一人になった琴子は、再び空いた洗面所の鏡に映った自分の姿を見る。予想通り、顔は最高に赤面していた。そして…確かにすごい寝癖。

「私もイメージチェンジ、しようかな。…春だし」

一人呟いて寝癖のひどい箇所を根元から濡らす。今日の予定が決まった琴子は、出掛けるためにまずは遅い朝食を摂る事にした。2人が会話をしたのは実に久しぶりの事であった。


***


「…しかし入江って、ホント何でもこなすよな。今更だけど」

渡辺が感心した声で話しかけてくる。2人は今、ダーツバーから出てきたところだ。

入試も終わって晴れて志望校への入学が決まった今、骨休めに遊びに行こうと渡辺の誘いで、直樹達は今日渋谷へ来ていた。
適当な場所で昼飯を食い、これから何をすると言った時に、渡辺からの提案で行った訳である。最近やり始めて嵌っているとの事らしい。直樹は初めてだったが、取りあえずルールを聞いて大体の事は理解した。
取りあえず、ゼロワン、カウントアップ、クリケットと順にゲームする。ダーツは正確に狙いの的を射るのは勿論の事、戦略も必要になるので次第に集中が研ぎ澄まされ、2人はゲームに没頭する。そして…ふと気が付くと周りに人だかりが出来ていた。


「初めてだったんだよな?ダーツ」

「ああ、さっきも言っただろ」

「俺もさ、最近始めた割には上手いって言われてたんだけどな…全く、1勝も出来なかったよ」

笑いながら渡辺が言う。勝負は全て直樹の勝ちだった。

「全く、皆入江に注目してたな。特に女の子達」

「くだらない」

渡辺の言葉に直樹は眉を顰め、ハァ、と息を吐きだす。2人が早々に店を出たのもそれが原因だった。
店外に出た時も、同じように直樹はは大きく溜息をついていた。自分に向けられる黄色い歓声や、やたらと連絡先を聞いて来たり勝手に名刺を押しつけてきたりしてくる見知らぬ女達が鬱陶しい事この上なかったからである。

「こんな時琴子ちゃんが居てくれたら、必死でお前をガードしてくれるのになぁ?」

「…何でそこで琴子が出てくるんだよ」

思わず睨みつける直樹の態度を寧ろ楽しむかのように、渡辺はその眼鏡の奥の瞳を細くさせた。

「だって琴子ちゃんって、入江の事になると百人力って感じのパワーじゃん。お前に近付く女の子を片っ端から追い払ってくれそうだよな」

「で、そのあいつ自身が一番迷惑掛けてくるんだけどな」

「はは、確かに。卒業式以来会ってないけど彼女、元気?」

「春眠暁を覚えずって感じだな。毎朝遅くまでダラダラ寝てる」

久しぶりに顔を合わせて幾らか会話を交わしたのがつい数時間前。その時の琴子の寝癖を思い出し、直樹は自然と口角が上がる。そんな直樹を見て、渡辺はフッと笑った。

「元気なんだな、琴子ちゃん」

「ああ。無駄なほどね」

「そう言えば…謝恩会でさ。入江、琴子ちゃんをで外に連れ出したじゃん。あの時、何かあった?…入江が怒っていたのは分かってるけど。あの後お前も琴子ちゃんも無言で帰って行ったからちょっと気になってさ…」

直樹があの時怒った原因が原因だったので、渡辺は少し遠慮がちに直樹に聞く。

「別に。何にもないよ」

返事しながら、直樹はあの時の自分の気持ちを回想する。

――琴子に「好きなのをやめる」と言われた時のザワザワした感情の起伏の原因ははっきりしない。が、その憤りを晴らすように、釘を刺すように俺は琴子にキスした。
どうしてキスをする事が釘を刺すという事になると言うのか。そもそも俺は、何に釘を刺すというのか?
人の心の在り様は自由なはずだ。琴子の心が何処に移ろうが、俺には関係のない事のはずなのに――

渡辺は疑うような視線をチラリとこちらに向けたが、それ以上の詮索はして来なかった。
人が沢山行き交う通りを、2人は流れに合わせて少し無言で歩く。周りは音で溢れていて、太陽の光が眩しかった。

「あれ…なぁ、あそこに居るの、琴子ちゃんじゃないか?」

「?」

急に渡辺が立ち止まるので直樹も歩みを止めた。直ぐ後ろを歩いていた人間が小さな舌打ちをして直樹達を避けて追い抜かしていく。渡辺の視線の先を追うと、そこはヘアサロンの大きなガラスで、そしてそのガラスの向こうには確かに琴子が座っていた。

恐らくカウンセリングの最中なのであろう。椅子に座っって雑誌を指差す琴子に寄り添うように一緒に雑誌を眺めたり、琴子の髪に触れる美容師。その姿に直樹はあの時と似た苛立ちを覚える。

「なんか熱心に相談してる感じだな、髪形変えるのかな?でも琴子ちゃんって髪綺麗だし、今のが似合ってると思うんだけど。なぁ、入江もそう思わな…」

そう言いながら直樹を見た渡辺は言葉を止めた。元々クール、悪く言えば冷徹と評される直樹の表情がいつもより更に不機嫌な顔で窓ガラスを睨んでいたからだ。

「入江…?」

「あいつがどんな髪型になろうが、俺には微塵も関係ないね。どうする、これから。飯食う?」

「…え、いや、さっき食べてからまだそんな経ってないし」

「じゃ、喫茶店入っていいか?無性に喉が乾くから」

「ああ、それくらいなら―」

渡辺が了解の返事をするや否や、直樹はくるりと踵を返し歩き始めた。まるで見たくないものに蓋を閉めるように。

「…それが関係無いって思ってる人間の態度なのか…?」

渡辺はやれやれといった風に小さく溜息をつき、そして何事もなかったように直樹の後を追いかけた。



――う~ん、結局イメチェンとはいかなかったな。

サロンから出た琴子は、ガラスに映る自分の姿をみて改めてそう思った。
カウンセリングの時に、例えばパーマをあてるとか、短くカットするとか相談をしたのだけれど、結局どちらもやめた。

『折角の綺麗な髪なので、量感の調整のみにしてはいかがですか?』

急遽の予約にも関わらず、運良く空きが出来て担当してくれた美容師はそう言った。
確かにどちらかと言えばズボラな琴子が唯一手を抜かずに手入れしているこの髪は彼女の密かな自慢だ。褒めてもらえた事が嬉しくて、琴子は提案を素直に聞き入れた。ただ、ほんの少しは変化を付けたくて、琴子は美容師に一つだけ注文をする。

「あの…前髪だけ、少し短く切って頂けますか?」

美容師は微笑んで、良く似合うと思いますと応え、前髪に鋏を入れた。
ほんの少しの変化だけれど、少し軽くなった髪で街を歩く琴子の心は見た目以上に軽くなっている。

――そうだ、今から入学式に着るスーツを探してみよう。春らしい、女子大生らしいものを選ぶんだ。

足取り軽く、琴子は目についたショップに足を踏み入れた。



***



日も暮れ街灯が青白く灯る時刻。電車のドアから大量に吐き出された人の流れに合わせて改札口をでた琴子は、視線の先に背の高い後ろ姿を見つけ思わず大声で呼び止めた。

「入江君!!」

決して振り向かないが、歩くスピードが緩やかになった直樹を見て取ると、琴子は走ってそこに追い付いた。

「偶然だね、同じ電車だったなんて」

息を整えながら話しかけてくる琴子を、直樹は無言でちらりと見た。

「ね、一緒に帰っていい?」

「…嫌だって言ってもどうせ後ろからでかい声で話しかけてくるんだろ?」

「えへへ。正解」

琴子はそう笑って答えると直樹の隣に並ぶ。直樹も特にそれを制止したりはしなかった。

「入江君はどこに行ってたの?」

「渋谷」

「嘘っ、私も渋谷に行ってたの。会わなかったね」

「その確率の方が高いだろ。あの人ごみの中で」

「そ、そうだよね。擦れ違ったとしても、気付かないよね…」

淡々と相槌を打つ直樹に琴子は少なからず失望する。やはり自分の小さな変化など、直樹は全く気付いてくれはしないのだ――

「…ガキっぽくなってる」

「え…?」

直樹の言葉に、琴子は俯いていた顔を上にあげた。

「前髪短くなって、更にガキ臭さ増したって言ってるんだよ」

「…気付いてくれたんだ!」

思わす琴子は直樹の腕を掴んで立ち止まった。

「どうせ今朝の一件で大人っぽくしようとでも思って出掛けたんだろ。寧ろ逆効果になってるけど」

直樹がニヤリと意地悪気に笑う。


――イジワルを言われているのは分かってる。でも、入江君のこの表情が私は結構好きだ…。

そう思うと琴子の表情は瞬く間に輝く。

「いいの、私は気に入ってるんだから!でも、ホントはもっとイメチェンするつもりだったんだ」

直樹は幸せそうに笑う琴子を眺めた。そして口には出さないがはっきりと感じていた。
琴子の長くて真直ぐな髪が変わっていなくて良かったと。

「いいんじゃない、そのままで。ガキ臭い前髪もお前らしいじゃん」

「ち、ちょっと、もう少し褒めてくれたって…」

「バーカ」

琴子の手を振り払って歩き出す直樹の後ろを琴子はついて歩く。

「あのね、入学式に着るスーツも買ってきたの。こっちはちょっと大人っぽくピンクのノーカラージャケットよ。女子大生らしいでしょ?」

「興味ない」

「もう少し気の利いた事言ってくれてもいいじゃない」

「太って見えなきゃいいけどな」

「…イジワル」

「今更」

いつの間にか、2人は再び歩幅を合わせ、並んで家路につく。

2人の頭上には、琴子が選んだスーツと同色の桜の蕾が小さく膨らんでいた。





【あとがき】

2人の関係が桜の花と同じように小さな蕾になった事をイメージして…
開花するのはまだまだ先ですね。
久しぶりの青臭モノでした(^-^)




3巻スキマ  コメント(8)  △ page top


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::Re: ツンコ様
はじめまして!
このたびは当ブログに辿り着き、お話読んで下さりありがとうございました。
新しい宝物を手に入れたようなんて、さらには勿全部読むのが惜しいだなんて、ただただ勿体無いお言葉です(涙)
長くやってるだけにそれなりに数はあると思いますので、どうぞ休み休みされながら読んで下さったら嬉しいです。気に入った作品があれば良ければまた教えて下さいね(*^_^*)

これからも・・・と応援ありがとうございます!お言葉に元気頂いてまた頑張りたいと思います♪
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::
初めまして!
今朝からブログ拝見させて頂いております、ツンコと申します。
第二のいたキスを読ませて頂き、
今朝から新しい宝物を手に入れたような気持ちです
琴子が大好きで、もちろん入江くんもかっこよくていじわるで、最高です!
本当に素敵ないたキスをありがとうございます。
全部読むのが惜しいですが、
今晩から楽しみにちょっとずつ読み進めたいと思います!
これからも頑張って下さい!
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::コメントありがとうございます
なおき&まーママ様
おはようございます。お礼が遅くなり申し訳ありません!えへ、気付いてくださいましたか?勝手にお応えしちゃいました(^^)v最後まで迷ってたんですよ、どちらを書くか。そうか…口紅かぁ。確かに塗ってるように見えますね。そしてその先の話…読んでみたい!是非ww教えて下さってありがとうございます♪これでやっと前のキスを数えるという話も分かりました(^O^)めちゃ面白い!写メ撮ってる姿とか(すいません!)インフルで飛ばされた記憶、思い出して下さいね~☆
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::コメントありがとうございます
藤夏様

おはようございます。お礼が遅くなり申し訳ありません(>_<)
青シリーズ(笑)すっごくわかります!その括りww
知識はあっても実体験を伴わなければ…のお言葉、うんうんとと頷いてしまいました。直樹はそういう所、琴子に沢山学ぶんですよね~。
渡辺君は親友だけれど、それを教えてあげる事は出来ないし、しないんですよね。うん、渡辺君っていいわ♪
蕾、ぴったりと仰ってくださってありがとうございました(^^)
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::コメントありがとうございます
chan-BB様

こんばんは♪ブツクサ書きたいと言っていた春のお話第1弾です(まだ何か書こうとしている(笑))
内容については思い浮かんでいるのに視点が定まらずにUPまで時間がかかりました(^_^;)
上手く桜の蕾にリンク出来ていたでしょうか?そう思って下さったら嬉しいです。
そして、私もむらむら~です。ううう…待ってます…!
本当に、春の風が舞いますように…!!

繭様

こんばんは♪
相変わらず鋭いと言うか何と言うか…(苦笑)
そうなんです。こちらのタイトル、【芽】とも訳せますよね。そして、2人の関係はまだ蕾にも満たなくて、どちらかと言えば芽の方が近いとも思いました。
ただ、どうしても最後に桜の蕾とリンクさせて描きたかったもので(^_^;)エヘ。
本当、天才でも恋愛経験のない入江君は自分の感情が掴めていなくて、周りの親しい友人とかの方が先に気付いちゃうんですよね。心優しい渡辺君もヤキモキしたことでしょう(笑)独占欲の発芽にも注目して下さってありがとうございます^m^

潤様

こんばんは♪
本当ですか?そう言って頂けると凄く嬉しいです(^^)
基本的にはLOVE×2なお話の方が好きで、妄想しやすいのもあって結婚後ばかりを書いていますが、時々無性に書きたくなるんですよ^m^
どうぞこれからも遊びに来て下さい。こちらこそ宜しくお願いしますm(__)m

くーこ様

こんばんんは♪
青春って感じ出せてましたか?良かった~。勝手に青臭モノと呼んでいるこの辺りのお話を書くときは妙にに緊張してしまいます(^_^;)
琴子の「もうやめる!」宣言で直樹にスイッチ入ったと私は思っているので、この時点で直樹は素直ではないけれど一部の人には感情バレバレだったと思います(笑)本当、恋愛っていいですよね~♪
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::こんばんは!
いいですね~!
青春って感じです(*^_^*)

直樹も素直じゃないですね~(笑)
でも好きなんですよね。
二人の空気ってとてもあったかそうです。

恋愛っていいですね~(*≧m≦*)
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